2006年03月05日

答えはここにないという答え(ミクシィ日記より抜粋)

※ミクシィ日記(3/05)の記事より抜粋してます。。。


「答えはここにない」というのが、僕の答えです。

僕がこれまでの(長いのか短いのかよくわからない)人生において、触れてきた議論の中、「答えのない」議論が多かった。

    誰しもそういう経験があると思う。


少しテーマが複雑になると、直ぐにそういう議論になってしまう。なぜかと言えば、それは人それぞれ考え方も感じ方も異なるからである。


    1+1は必ず2になるだろうか?

昔、僕にこの話をしてくれた方は、「違う」と言った。「この"1"がオスとメスだと考えれば、高配し子供ができる。3にもなれば4にもなる。私はそう考える。」

その人がどう考えるかという話は、そういう話である。誰かが違うと考える理屈が、誰かにとって正しいと考えられている場合もある。


だから、答えはここ(この場の議論)にない、というのが私の答えなのです。


そして、「と考えてる」だとか「と思います」だとか「と感じてる」という言い回しをよく使うようにしている。主語が「私」であるのだ。暗に「貴方がどう考えるかわかりませんが・・・」というニュアンスを含める。それが僕のスタンスであり、哲学でもある。

それなりにお互いのことを知り、リスペクト(尊重)できている仲であれば「お前はそう考えるんだ。俺はこう考えるよ。」それで終わりになる。

議論に感情は入ってこないし、お互いをよく知ったとわかり、それで終わる。


しかし、そうでない場合、どうしても自分の理屈を主張しないと気がすまない人が出てくる。そういうとき、疲れてしまう。当人はその気はないかもしれないが、「自分は知っているから」という意識が高圧的に出ている。

とにかく「考え方は人それぞれだから・・・」と誤魔化そうとしても、「でも」「だけど」と逆接の接続詞が出てきてしまう。しかも、よりによって推測で議論を進めたりする。

そもそも、相手が何を考え、何を知っているか、ということを自分が知らないということを知って欲しい。


     ソクラテスの「無知の知」

僕が一番尊敬している人がソクラテス。この理屈は、ソクラテスが言った「無知の知」という概念の大切な応用例であると、「僕は」思います。


この理屈で興味深いのは、「人それぞれ考え方は違う」ということが大前提である。「答えはここにない」と言っている僕が、これを前提に話すのは意外に本末転倒かのように見える(汗

「みんな考え方なんて同じだよ」と言う人が少なからずいるだろう。しかし、僕自身が「人それぞれ考え方は違う」と考えている時点で、その人と考え方が違っているのである。


だから、僕が唯一真であり、正しいと思うことは

   ・人それぞれ考え方が違うということ
   ・私が存在しているということ

ただ、それだけしかない。

西洋哲学史は、小学校中学校から学ぶべき学問だと思う。そうすれば、もっと世の中住みやすくなる。

とある名言を読んで、今日確認した自分の哲学でした。
posted by 結依斗<女々しき思想家> at 00:00| Comment(0) | 女々しき思想家の日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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